【由緒】 八坂神社のはじまり
祇園さま(スサノオノミコト)は九世紀頃には、既にここ、小倉の地に祀られておりました。 元和三年(1617年)に丹後国(現在の京都府)から小倉の地に移ってきた細川忠興公が、改めて祇園社(のちの八坂神社)の社殿を 小倉・鋳物師町に創建しました。
 
細川忠興公が小倉に来た理由
慶長五年(1600年)の関が原の戦いで東軍に参加し、その戦功を評価され、徳川家康公より豊前小倉藩39万9000石を付与されたのです。
 
忠興公が祇園社(のちの八坂神社)を建て直したきっかけ
ある日、城外に鷹狩りに出かけた忠興公は、小さな社を見つけ、祠の中にある御神体を覗き見ようとしました。杖でこじ開けようとしたところ、中から一羽の鷹が飛び出し、忠興公の目を蹴ったのです。失明同然になった忠興公は、神様に対して非礼を働いた神罰だと深く反省し、荘厳な社殿を建立したのでした。これによって忠興公の目も快癒したと伝えられています。
 
以後、八坂神社は変わることなく小倉城下の人々の信仰を集めてきました。 明治になり、祇園社から八坂神社へと名前が変わり、昭和九年に現在の小倉城内にご遷座されています。

【御祀神】 八坂神社に祀られている神様
八坂神社の御祀神はスサノオノミコトという神様です。素盞嗚尊、須佐之男命、須佐乃袁尊などいろいろな表記がありますが、読み方は同じです。
 
乱暴者の神様から庶民の英雄へ
◇天岩戸のお話
高天原(神様の住む世界)に住んでいたスサノオ様は、アマテラス様(太陽の神様)の田んぼを壊す、神殿を汚す、馬の皮を剥いで機織屋に投げ込み、天衣織女を死に至らしめるなど、数々の乱暴を繰り返しました。怒ったアマテラス様は、洞窟の中に籠もってしまい、太陽の神様を失った高天原は闇となり禍が蔓延したのです。その後、他の神様たちの機転で、アマテラス様は外にお出になられましたが、スサノオ様は人間の世界へ追放されてしまいました。
◇ヤマタノオロチのお話
人間界へ降りたスサノオ様は、出雲の国で嘆き悲しむ老夫婦とその娘に出会いました。悲しむ訳を尋ねると、老夫婦には、もともと8人の娘がいましたが、大蛇が毎年襲ってきて、娘を食ってしまったと言うのです。話を聞いたスサノオ様は大蛇を退治し、その尾から出てきた刀をアマテラス様へ献上したのです。スサノオ様は助けた娘(クシナダヒメ)と結婚し出雲の須賀(すが)の地へ留まったそうです。
 
 
 

【境内案内】 八坂神社と小倉城内の四季
石造り灯篭 石造高麗犬 正門の木製鳥居 中津門の大石

      
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