御朱印

【頒布終了】小倉祇園太鼓の特別御朱印

【予定枚数に達しましたので頒布を終了致しました】

関ヶ原の戦いにおいて、徳川家康公に従い多大な勲功を立てられた細川越中守忠興公は、慶長六年(一六○一年)に、豊前一国と豊後二郡を領有する大大名としてこの地に入国されました。

ある日、忠興公が鷹狩の途中、石の祠を覗かれたところ、突如蜂の群れに刺され、視力を失うほどの重傷を負われました。これを神罰と受け止め、家臣にその由緒を調べさせたところ、祠には「須佐之男命(スサノオノミコト)」が祀られており、生国・京都の祇園社と同じ御祭神であることが明らかとなりました。

このご縁を大切にされた忠興公は、元和三年(一六一七年)に、城下の鋳物師町に社殿を新たに建立し、神社としてお祀りされました。

その後、寛永九年(一六三二年)に小笠原忠真公が藩主となられてからも、当社は小倉城の守護神として、また領内の総鎮守として永く尊崇されてまいりました。明治の御代には神仏分離令により社名を「八坂神社」と改め、昭和九年(一九三四年)七月八日には、鋳物師町より現在の勝山城北の丸(二の丸)跡に遷座され、今日に至っております。

現在では「小倉のぎおんさん」と親しまれ、毎年七月に斎行される例大祭「小倉祇園まつり」は、両面打ちの太鼓の音から「太鼓の祇園」として全国に知られております。

結びに、本御朱印は、小倉祇園太鼓を主題とし、神社の風景を彩る梅、つわぶき、さつきの花々をあしらった、季節感あふれる特別な御朱印でございます。さらに、NFCタグを用いることで、映像をご視聴いただける新しいかたちの御朱印としてご用意いたしました。「小倉祇園太鼓」の力強い響きに耳を傾けながら、今後とも変わらぬご厚情を八坂神社に賜りますよう、心よりお願い申し上げます。